隊長が腕をぐっと挙げると、格納区画の空気が一斉に引き締まった。
短い、しかし重みのある号令。周囲に並んだ兵士たちの呼吸が一つになっていく。
「全艦注意。これより出撃を開始する。司令官から諸君へ任務説明がある――」
大型ホログラムが浮かび上がり、軍総司令官の顔が全艦に向けて語り始めた。肉声は、会場のあちこちで反響している。

「我々が向かうのは、いわば“始まりの星”だ。ここはかつて人類が訪れ、理想郷として記録に残した場所だが――現在、そこでは時間遅行が顕著になり、以前のようには容易に到達できない。かつて一週間で往復できた航路が、今や片道で一か月を要することもある。
道中は比較的安全だが、始まりの星に入った瞬間、状況は一変する可能性が高い。任務は二つ。一つは、接触可能な生命体の確認。
もう一つは、侵攻の目的を調査し、状況に応じて和平交渉を行うことだ。必要ならば即時帰還。諸君の判断が、我々全体の未来を左右する。」
映像が消えると、司令室の空気は静かになった。誰もが重い現実を飲み込んでいる。
⸻
ミーティング後・出撃前のひととき
各隊に分かれてのブリーフィングのあと、アークとリアは同じ隊に配置された。隊列の端から、仲間たちのからかいが始まる。
「おおお、見ろよ。アークとリア、まるで夫婦じゃねえか」
「さっさと俺たちにも幸せ分けてくれよ!」
部隊は小さな冗談で緊張を和らげる。紹介しておこう――アークたちの第七小隊はこうだ。
• 隊長:コール中佐(堅実で頼れる男)
• アーク・レイ(主人公)
• リア・ノルン中尉(アークの相棒/冗談では“奥さん”呼ばわり)
• 男性兵士A:マックス(豪快、笑いの中心)
• 男性兵士B:タク(安定志向、家庭的)
• 男性兵士C:ユン(冷静な策略家)
• 男性兵士D:ジェイ(無邪気、若い)
• 女性兵士E:ミラ(陽気。実は男Aの妻)
ミラが大げさに腕を組むと、男A(マックス)が照れて顔を赤くした。
「お前ら、早く結婚したらどうだ? 俺たちの幸せ見せつけてやるよ」
「いや、アンタの場合“見せつける”のは武器の使い方だけでいいよ」
やりとりに周囲が笑う。短い時間だが、そこには確かな“家庭の匂い”が混じっている。笑い声は、明日以降の不安を一瞬押しやる。
「お前ら、無茶すんなよ。――部隊長としての命令だ。全員、帰ってこい。」
コール中佐がやや厳しく言うと、列の雰囲気はまた整った。冗談は終わり、任務へと意識が切り替わる。
―出撃、そして光速の向こうへ―
午前九時。
広大な格納ドームに、低く重たいサイレンが鳴り響いた。
それはまるで戦場の鐘ではなく、葬送の鐘のようにも聞こえた。
「全艦、発進準備。各部隊、持ち場につけ!」
オペレーターの声が重なり、巨大なモニターに十隻の戦艦が整列していく。
それぞれの艦体には、人類最後の希望の象徴――白銀の紋章が刻まれていた。
アークたちが乗り込むのは旗艦《オルフェウス》。
艦橋の上層デッキから見下ろせば、滑走路の両脇には無数の信者たちが祈りを捧げている。
「神よ、護り給え」「光を我らに」――祈りと涙が波のように広がっていた。
その光景を、アークは無言で見つめていた。
彼女が隣に立ち、ヘルメットを軽く当てる。
「……怖い?」
「怖くないって言えば、嘘になるな」
「でも、あの星に行くのは、誰かがやらなきゃいけない」
彼女の声は震えていない。むしろ、決意の色が濃かった。
そこへ、コール中佐の声が艦内通信を通して響く。
「こちら旗艦《オルフェウス》部隊長、コール中佐だ。全員、任務を再確認せよ。
――接触可能な生命体の確認。
そして、侵攻目的の調査及び、状況に応じた和平交渉だ。
この任務は人類史上、最初で最後の“対話”の機会になる。
……帰還を最優先とせよ。それが私の命令だ。」
短く息を呑む音が、通信の向こうでいくつも重なる。
誰もが分かっていた。
“帰還を最優先”――それは、帰れない覚悟を意味していることを。
「全艦、主機点火」
「重力制御装置、安定稼働」
「エネルギー炉、臨界到達」
次々と報告が上がる。
床下の装置が振動し、艦体全体が低く唸りを上げた。
アークの視界がわずかに揺れる。重力が、一瞬だけ彼の体を押し潰すように重くなった。
「光速航行、臨界まで十秒前!」
操舵席のクルーたちは、もはや祈るような表情をしている。
周囲の星々がかすかに滲み、まるで空間そのものが折れ曲がっていくようだった。
艦橋の窓外――星空が、螺旋を描いて潰れ始めた。
「三、二、一――光速臨界、突破!」
瞬間。
爆音もなく、世界が“消えた”。
すべての光が伸び、色も音も、時間さえも溶け合う。
アークは咄嗟に息を止めた。
周囲の兵士たちは無言のまま、視界の彼方に消えていく銀色の軌跡を見つめていた。
「これが……光速の世界……」
誰かが呟いた。
その声は、空気のない真空に吸い込まれるように、静かに消えた。
艦内モニターには、計測不能の空間座標が点滅を繰り返す。
「時間遅行率、上昇中。外部との通信、すでに遅延発生」
「異常なし、航行は安定しています」
その報告を聞いたコール中佐は、深く息を吐き、
「よし……全艦、通常航行モードへ。
――行くぞ、“始まりの星”へ。」
その声に応えるように、十隻の戦艦が光の帯となって銀河の闇を切り裂いた。
その背後で、地球の青い光がゆっくりと遠ざかっていく。
誰も気づかなかった。
その瞬間、通信システムの奥底で、微弱なノイズが――
まるで「かえれ」と囁くように、わずかに震えていたことを。
船内の時間――緊張と安らぎ
艦内の空気は、常に張り詰めていた。
それでも、人はどれほど極限の状況にあっても“平常”を装う生き物だ。
航行から十数時間。人工照明が昼夜のリズムを作り出す艦内では、誰もが時計を気にしながらも、実際の時間の感覚を徐々に失っていく。
外は静寂。モニター越しに映るトンネル空間は、光と影が反転したような世界。そこに星はない。ただ、時折“光の粒”が窓の外をすり抜けていく。
「……まるで雪だな」
誰かがつぶやいた。
それは艦の中でもっとも若い兵士の声だった。
「雪?」と隣の整備士が眉を上げる。
「昔、始まりの星で見たことがある。冷たいのに、綺麗で……すぐに消える」
「ロマンチックな話だな。今の状況で聞くと逆に怖ぇけど」
その場に小さな笑いが広がる。だが、それも一瞬。すぐに沈黙が戻った。
艦内では最低限の会話しか交わされない。
誰もが緊張を悟られまいとして、努めて普段通りに振る舞う。
その努力が痛いほど伝わるのが、食堂の空気だった。
昼食の時間。テーブルを囲む十数人の隊員たちは、いつものように食事を取りながらも、笑顔の奥に硬さがあった。
「これ、塩が足りないんじゃない?」
リアがスプーンを口に運びながら冗談めかして言うと、ミラがむっとした顔をする。
「味見したときは完璧だったの! あんたの舌が緊張してるだけよ」
「そりゃそうだ、明日には敵の懐に突っ込むんだ。舌も凍るさ」
ユンが言って、わざとらしく肩をすくめる。
「はは、こいつら見てると安心するな」
隣の通信士が苦笑するが、その目はどこか遠くを見つめていた。
リアはちらりと主人公──レインに目をやった。
彼は黙って皿を片付けながら、時折短く微笑む。
「……緊張してる?」
「してないと言ったら嘘になる。でも、こうして皆が笑ってるのを見ると、少し落ち着く」
「ふふ、そうね。戦場でも笑ってられるくらい、強くなりたいものね」
「……俺は、君が笑ってくれるなら、それでいい」
リアがわずかに顔を赤らめ、視線をそらす。
その瞬間、ユンが声を上げた。
「おーい、またイチャついてるぞ! こいつら夫婦は、戦場でも手を繋いで突っ込むんじゃねぇのか?」
笑いが起こる。だが、それもどこか張りつめた笑いだった。
テーブルの端で、ミラがぽつりと呟いた。
「……帰ってきたら、またみんなで食べようね」
その言葉に、一瞬空気が止まる。
「おう。今度は塩多めで頼む」
整備士が軽く笑い飛ばし、場の空気を戻す。だが、誰もがその沈黙の“意味”を理解していた。
ブリッジからの通信が鳴る。
《こちらコール中佐。全区画、航行安定。現在、目的星系まで体感時間であと八時間》
その声は落ち着いていたが、背後には微かなノイズが混じっていた。
そのノイズの中に──かすかに“声”が混じっていた気がした。
……かえれ。
誰かが小さく息を呑む。
だが次の瞬間には通信は途絶え、静寂が戻る。
その後、食堂を出る隊員たちは、無言のまま各自の配置へと戻っていった。
廊下に響く足音は、どこか硬い。
まるで、全員が同じ“何か”を感じ取っているかのように。
その“何か”が、翌日に訪れる運命の影であることを、まだ誰も知らなかった。
決戦前夜 ――静寂の中の鼓動
夜間航行モードに切り替わった艦内は、昼間の慌ただしさが嘘のように沈んでいた。
照明は青く落とされ、廊下の金属壁には非常灯の赤がわずかに反射している。
エンジンの低い唸りが、まるで生き物の鼓動のように一定のリズムで続いていた。
それを聞きながら、俺はブリッジ前の観測窓に立ち、ぼんやりと外を見ていた。
無数の星々が、まるで息を潜めるように遠くで瞬いている。
この静寂の中に、明日――いや、数時間後には無数の光と爆炎が交錯するのだと思うと、
現実感が薄れる。
「まだ起きてたの?」
背後から柔らかい声がした。リアだ。
振り返ると、彼女は薄手のパーカーを羽織り、手にマグカップを持っていた。
カップから立ちのぼる湯気が、青白い照明に淡く揺れる。
「眠れなくてな。少し、冷たい空気を吸いたくて」
「……わかる」
リアは小さく笑いながら隣に立つ。
彼女の指先がわずかに震えているのを見て、俺は言葉を探したが、うまく出てこなかった。
「船内って、静かすぎると逆に落ち着かないね」
「そうだな。人の声がないと、エンジンの音がやけに響く」
「……鼓動みたい」
リアが呟く。
「艦そのものが生きてるみたいで、でもどこか冷たい」
その表現が妙にしっくりきた。
この艦は人の命を運び、戦いへと送り出す。
生きているようで、確かに“命”を奪う器でもあるのだ。
「ねえ」
リアが視線を前に向けたまま言う。
「あなた、怖くないの?」
「……怖いさ」
正直に答えた。
「誰だって怖い。ただ、それを押し殺して動くだけだ。そうしないと、何も守れない」
リアは少しだけ俺の方を向いて、目を細めた。
「やっぱり、そういうとこ好き」
「おいおい、今さら何だよ」
思わず苦笑した。彼女も同じように笑う。
その笑いは、どこか懐かしさを含んでいた。
「覚えてる? 初めて一緒に出撃した時」
「忘れるか。君が機体の操作ミスして、俺の通信切っただろ」
「えっ、まだ根に持ってるの?」
「当たり前だ。あのあと敵の索敵範囲に入って、こっちは冷や汗だらだらだったんだから」
リアは口を尖らせた。
「でも、結果的にあなたがカバーしてくれたじゃない。ほら、あの時から相棒でしょ」
「……そうだったな」
いつの間にか二人とも笑っていた。
緊張の中でも、そんな小さな笑いが救いになる。
リアは持ってきたカップを俺に差し出した。
「飲む? カフェインレスだけど」
受け取って一口。少し薄いが、温かさが喉を通る。
その瞬間、張り詰めていた心が少しだけほどけた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
リアは軽く肩をすくめる。
「明日は忙しくなる。寝なきゃいけないってわかってるのに、どうしても眠れなくて」
「……みんな同じだと思う」
「うん。きっとそうね」
ブリッジの窓の外で、星がひときわ強く瞬いた。
まるで、それが彼女の言葉に応えるように。
しばらく沈黙が続く。
だが、その沈黙は気まずさではなく、互いの存在を確かめ合う静けさだった。
リアがそっと手を伸ばし、俺の袖を軽く掴む。
その小さな仕草が、どんな言葉よりも強く胸に残る。
「明日、必ず帰ってこようね」
「……ああ、約束だ」
リアは小さく頷き、ゆっくりと席を立った。
「ブリーフィングの前に、整備区画をもう一度見てくる。ちょっとでもズレがあったら落ち着かないから」
「了解。……無理するなよ」
「わかってる」
その背中を見送る。
彼女の足音が廊下に消え、再び静寂が戻る。
俺は残ったカップを見つめた。
温もりはまだ残っていたが、少しずつ冷めていく。
手のひらの中でその温度を感じながら、思う。
明日のことを考えるより、今のこの時間を覚えておこう。
この静けさと、彼女の声と、さっきの笑顔を。
外の宇宙は、変わらず静かだった。
けれどその静けさの底で、確かに艦の鼓動が鳴っていた。
まるでそれが――命の音そのもののように。

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